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2019年10月18日(金)
「ペット」×「感染」の新感覚 ショート・エッセイ
動物愛護団体スタッフ T 氏の場合
猛暑が続く8月。
会社から帰宅し、夕食を食べながらTVを観ていると、こんなニュースが私の目に飛び込んだ。
「飼い犬になめられて感染症発症、両手両脚を切断」と。
私には10年一緒に暮らしている愛猫がいる。
名前はライム。女の子のキジシロ柄だ。
彼女との出会いは、私がフリーター時代にバイトしていたスーパーマーケットだ。
親とはぐれ、バックヤードで元気に鳴いていたのを覚えている。
その日はやけに忙しかったのだが、なぜだろう。ほっとけなかった。
当
時の私は動物を保護すること自体初めてでどうした良いのかわからなかった。
そこで、ネットで保護猫について調べ始めた。日本における動物愛護の問題を知った。
“宇宙飛行の実験代となったライカ(犬)”のこと。
“日本では年間5万頭もの殺処分の現実“
動物愛護センターという言葉から感じる温度感とは別に、現実問題として収容し引き取り手がない動物が殺処分されている。
私はこの時、今までに感じたことのない、言葉では表わせられない感情が自分の中でふつふつと沸いてきたことを今でも覚えている。
直感的に、これはやらなくてはいけない「義務」のようなものではく、自分の「宿命」のように感じた。
そんな中、バイト先の社員と保護猫をどうするか相談すると、野良猫として捨てると言った。「公園に持って行って放そうか?」などと悩んでいた。
今まで感じたことない感情に突き動かされるまま、私は彼女を育てることにした。
数日後には私の住まいのエリアで活動している動物愛護の団体に連絡し、動物愛護のボランティアスタッフとして自分にできることをしようと決意した。
彼女は私の人生に大きなキッカケを与えてくれたという意味でも私にとっては特別な存在である。
ライムとのスキンシップは日々の楽しみで、彼女はよく私の膝に乗ったり、喉を鳴らしながらお腹を見せて甘えてきたり、時には、私の手を甘噛みしたり、指をなめたりする。
彼女を膝の上に抱えて、ご飯を食べていた時に、そのニュースを見たのだった。
「飼い犬になめられて感染症発症、両手両脚を切断」
アナウンサーは、「犬・猫由来の感染症は感染しても稀にしか発症しない」と伝えている。でもそれは可能性がゼロであるとは言ってはいない。
普段のスキンシップを気をつけるほうがいいのか?
発症は稀だし、10年間でいままで何も起きなかったから平気なのか?
と、色々と考えて、でも答えが見つからず、光が見えそうな気になっては、また暗闇なるような感覚のまま、私は膝の上のライムを見た。
10年という時間の変化の中で、私を取り巻く環境はずいぶんと変化した。
今では家庭を持ち私の帰りを待つのは彼女の他に、妻と子どもたちがいる。
理不尽で不条理な人生を自分らしく生き抜くには、「死」へのリスクは極力避けたい。
私が死ぬことで、愛する家族と彼女に二度と会えないという現実が、私には、受け入れられないのだ。
とはいえ、起きる確率が稀なことに注意していたら、これまでのようなライムとの生活を送ることはできない。囚われすぎても精神衛生上よくないのである。
太陽の元で起きることは、誰にだって起きる可能性はあるのである。
人生とは理不尽に失敗することもあるし、理不尽に成功することもある。
起きてもいないことを心配するよりも、目の前にいる家族や彼女に思いを寄せたほうが精神衛生的にも自分の幸福のためにもなると思う。
私もライムもいつかはいなくなる。
それがいつなのかは誰にもわからない。
だからこそ、今を大事にしたいと思う。
目の前にいる彼女を抱きしめたいと思う。
いつか過去に生きる彼女に想いを馳せても、
彼女の温もりも、
彼女の鳴き声も、
たとえ、私の脳内で再現できても、五感で感じることはできなくなるという不条理。
だからこそ、いまを生きる。
それが私の生き方でもあり、私なりの彼女への愛でもある。
不条理な人生・・・バッチコーイ